きっかけがあって、出逢って、話して、別れて。
そんなことを何回も繰り返して、心が擦り減った数だけ経験を手に入れて。
手に入れた経験を基にして、またきっかけを探して。
──────こんなサイクルを、いつまで続ければ出口を見つけられるのだろうか。
出口を見つけた時、私はどうなっているのだろうか。
その答えはきっと、己の中に。
今はただ、己を知ることに集中しよう。そう思いながら、毎日を過ごしていく──────。
こんにちは。Keiです。
先週もお疲れさまでした。
先週はとにかく飯に行ってましたね。水曜日以外はずっとご飯でしたね。まあ、新年の初めの方に相応しい感じでしたね。仕事も本格的に通常業務に戻り始めたので、いよいよ2023年始動って気がしています。
さて、今週のテーマは「己を知る」です。今年、初詣に行った際におみくじを引いたのですが、そこの恋愛の欄に「まず己を知れ」ということが書いてありました。そこで、自分のことを見つめなおしてみました。
実は昨日、マッチングアプリで知り合った女性と2回目のご飯に行きました。ただ、その2回目のご飯は1回目のそれとは違う感じを受けました。言葉にするのは難しいですが、どことない違和感を感じました。そしてそれは、社会人になって初めて付き合った時の彼女に対して感じたものと一緒でした。
案の定、ご飯を食べた後に幾度か連絡して、お互いに合わないねという結論に至り、連絡先を消してその出会いは終わりました。
結局、その違和感が何なのか、昨日の夜から考えていたのですが、そこで1つ気づいたことがありました。その違和感が「本気度・立っている場所の違い」から来ているということです。
自分は、ある程度仲良くなれそうだなと感じたら、結構自分をさらけ出すことが多いと思っています。というのも、自分がさらけ出す努力をすれば、相手も自分を出しやすいかなと思っているからです。自身の全力で相手にぶつかるのが自分のスタイルだと思っています。
その当時の彼女に対しても、昨日会った女性に対しても同じようにぶつかっていたのですが、2人とも私に対してかけた言葉がありました。それは「頑張って」という言葉です。
「頑張って」という言葉は悪い言葉ではありません。ただ、その2人が「頑張って」といった言葉の裏には、「私は知らないけど」というニュアンスが隠されていると思いました。
なんというか、上から目線で言われた感じが凄くしました。あるいは他人行儀か。少なくとも自分と同じ目線ではないです。そこに凄く違和感を感じたのだなと思います。
自分の本気には応えてくれず、それを上から眺めているだけ。そんな風に感じていました。
自分が相手を選ぶときの1つの基準がまた生まれました。それは「恋愛に対する本気度が同じ」ということです。つくづく思い知りましたね。約1年前に経験したものを再度味わって、嫌になりましたね。ただ、この経験で、より自分に合った相手を選べるように多少はなったと思えば、出会いの価値はあったのかなと思います。
ただ、やはり疲れますね。自分の悪いところなんですけど、ちょっとでも希望を持っちゃうので、それがなくなった時がやっぱりしんどいですね。そこまで大きな希望を持つわけじゃないんですけど、小さなしんどさが積み重なっていくといつか大きく疲れそうだなと思いました。リフレッシュもしつつ、頑張っていきます。
己を知り、相手を知り、そこから未来を知れる。自分を知ることも、今年の目標にしていきます。
最後に、今週の名言を1つ。
「もし苦しみがなかったら、人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。」
それでは、よい1週間と己を。