古傷に巣食う後悔(08/05/2022)

心の古傷をなぞるたびに思い出す。あの時の相手の顔、自分の声、そして、どうしたらよかったのだろうかという後悔を──────。

 

 

 

どうも、Keiです。

皆さま、お疲れ様です。

 

昨日のブログでは、先週の感想などを交えて色々と書いていきました。順当にいけば、今日は今週の感想を交えるところだったのですが、昨日も書いた通り、今は療養機関で外に出られず、ずっとベットでゴロゴロしているか、飯を食べているかだったので、今週の感想はロクなものじゃないです。よって、カットしたいと思います。

 

さて、今週のテーマに移っていきましょう。

皆さんに質問です。昔にした後悔は今でも覚えていますか。答えは様々でしょう。知り合いの一人は嫌なことは片っ端から忘れていくタチらしいので、恐らく覚えていないでしょう。そうではない人もいるでしょう。

私は、覚えています。なにせ経験を大事にしている以上、どうしても過去の自分と向き合う機会は多くなってしまうので、どこでどんな後悔をしたのか、そこからどんな教訓を得たのか、というのを振り返ることもまた多いです。なので、自分にとっての過去の傷、すなわち心の古傷は長期間残っています

去年1年だけでも結構な数の古傷ができたと思います。まあ、特に恋愛面ですがね。今となっては、その傷が自分をより成長させてくれると思っていますが、傷がついた当時はかなりしんどかったです。それは去年のブログを見直していても明らかでしたね。今更どうこうできる話でもないし、行く末に納得はしているのでまあいいですが。

ですが、古傷をなぞるたび、一緒にその当時の後悔が呼び起されてきます。「あの時、ああしていたらどんな結末を迎えていたのだろうか、今隣には誰か居てくれたのだろうか」と。未練があるわけじゃないんです。しかし、古傷は、その後悔が消えるまでは治ってくれない。後悔の念が、古傷の部分に「呪い」のように引っ付いているんですよね。もしかしたら古傷は一生消えるものではないのかもしれないです。ただ、消す努力はしたいと思います。

自分がこの話に至ったきっかけは、同期との連絡でした。久々に遊ぼうと、グループラインで連絡が入ってきた際に、あることを思ったのがきっかけです。一般で公開されているブログである以上、今回だけは話を端折ります。その「あること」とは要約すると、自分は、かつて同期にかけた言葉に対して後悔しています。その後悔を今回の遊びで無事昇華できるだろうか、ということです。別に、相手に対して何か嫌な感情を持っているわけではないです。ただ、お互いの笑い話にできればいいかなとは思います。それをもって、自分の古傷は1つ消えると思っています。遊びに行くのは純粋に楽しみですし、久々のメンツに会えるのも凄く楽しみなので、あんまり考えすぎず、実直に楽しみたいと思っています。

 

もしかしたら、自分のブログを見てくれている方には、色々な後悔をして、心に多くの古傷や、まだ古傷にもなっていない生傷を抱えている人もいるかもしれないです。正直、その方々に何かアドバイスができるワケではないです。しかし、その人の人勢はきっと、含蓄のある、面白い人生に今後なっていくんじゃないかなと思います。あくまでも個人的意見ね。

 

 

最後に、今日の名言を1つ。

「何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。」

by フィンセント・ファン・ゴッホ

 

 

それでは、よい週末と古傷を。