愛すべき異端(08/06/2022)

人は時に、己を「正常」とみなすか「異常」とみなすかを迫られる。そんなものの答えはないというのに──────。

 

 

 

どうも、Keiです。

今週1週間、お疲れさまでした。

私の一週間は何もない、休養の一週間でした。だからこそ、色々な事象を見つめなおす機会がありました。

 

皆さんに聞いてみたいことがあります。皆さんは自分のことを「正常な人間」だと思いますか。また、「正常な人間」であろうとしていますか。そして「正常」とは何ですか。

こう聞いて、スッと答えられる方は少ないのではないでしょうか。問いを投げた私自身は答えを持っています。まず、「正常」とは何か。私の見解としては、正常にも2種類のものがあると思っています。主観的(広義)のものと、客観的(狭義)のものです。前者は俗に言う「正義」、後者は「法律」に依るものです。「正義」については、今年の4月30日のブログに触れているので割愛します。後者については、単純に、法に背いていなければ「正常」、そうでなければ「異常」というだけの話です。そして、自分が「正常な人間」かどうか、そして「正常な人間」であろうとしているかという問いに関しては、己の「正義」の元では「NO」です。

 

法を犯すことはしたくないので、そういう意味では正常な人間であり、これからも正常であろうと思っていますが、法外のところ、すなわち「自分の正義」に照らし合わせると、自分は異常な人間であり、異常であり続けようと思っています。どういうことかというと、自分は自分の正義に従っていたくないんですよね。ある迷いがあったとして、自分の正義の中を探してもその解が見つからなかった時、その外に探しに行かないといけないんですよね。外に探しに行くのは結構好きなんですよね。自分の常識だけで答えを出すのではなく、他人の正義・常識を吸収したうえで答えを得る。そうすると、自分の人生がもっと含蓄のあるものになっていきそうだなと思っています。自分が送りたい人生を作るために自分の「正義」にはない、または相反する道を選んで「異常」であろうとする、これって「正常」であるために「異常」であり続けるっていう矛盾でもあるんですけどね。まあ、矛盾もいいかなと思います。悪いと思ってもらうのは勝手ですがね。

 

最近、ある方のブログを拝見しました。よく自分のブログも拝見してくれている方の記事です。毎回楽しく読ませていただいているのですが、1つ思ったのが、あえて自分を異常だと思う必要もないのかなと思います。「死にたい、生きていたくない」と思うことに対して、自分はそう思っている人が異常であるとは思わないです。生きていればそう思うことも自然でしょう。その感情に対して、何かを指摘するつもりは全くないです。ただ、そう考えることに対して、それが異常だと思っているのだなと、読んでいて思っただけです。そこから、正常と異常の違いって何だろうってふと思ったのが、今回のブログのテーマのきっかけですね。ブログは楽しく読ませていただいて、テーマも考えさせられるもので、大変刺激がある記事でした。読ませてくれてありがとうございました。

 

皆さんも、自分が何を「正常」だと思い、何を「異常」だと思うのか、ふと考えてみると面白いかもしれないですね。

 

 

最後に、今日の名言を1つ。

「正常とは何かを理解する最良の方法は、異常について学ぶことである。」

by ウィリアム・ジェームズ

 

 

それでは、よい週末と異常を。