「心理・常識」の来る先、行く先(04/16/2022)

こんにちは。Keiです。
今週もお疲れ様です。

今週の感想としては「目まぐるしく忙しかった」です。打ち合わせやらお客さんが来るやら外に出るやら、とにかく色々な案件をぐちゃぐちゃやっていましたね。本格的に自分本来の仕事が戻ってきたんだなと嫌というほど実感する一週間でした。
なんか最近こんな感想しか出てこないですね。来週はもうちょっと気の利いた感想が出る一週間にしたいですね。

さて、今週のテーマは「集団心理・常識」です。自分はこのテーマを思いついたのは、金曜日に行った夜のラグビーの試合がきっかけでした。いつもつるんでくれる中学の頃からの友人がラガーマンで、試合の観戦に誘ってくれました。自分自身も興味があったので、喜んで行きました。すごく楽しかったですね。友人がプレーの解説をしてくれるから楽しく見られました。後は仕事終わりの観戦っていいなと思いました。試合からパワーをもらえた気がします。
その試合中、ふとチームを応援する人たちが目に入りました。皆が一丸となって応援していました。その時にふと今週のテーマ「集団心理」を思いつきました。
集団心理は皆さんの中にも少なからずあると思います、「皆がそう言っているからそうしよう」「皆がやっているから自分もやっていいだろう」という考えが。それ自体は普通だと思います。人間は社会という集団を作ってきたからこそここまで発展できたのでしょうし、集団の意向に沿った行動や考えを持つことは自然だと思います。そこから常識が生まれてくると私は思っています。

最近、自分の常識がどこから生まれたものなのだろうかと思うようになりました。その1つに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。
言葉の意味は知っている方も多いかと思います。知らない方は調べてみてください。意味はともかく、皆さんは「愚者」と「賢者」のどちらでありたいと思うでしょうか。恐らく、「賢者」でありたいと思う人が多いかと思います。「愚者」になりたい!って方は少ないと思います。漢字的に良いイメージはないですし。
そこで1つ聞いてみたいことがあります。「愚者」であることは悪いことなのでしょうか。恐らくですが、悪いと思う人が多いのではないかと思います。
私は悪いことではないと思います。
それは、愚である事そのものが悪ではないと思っているからです。これって「愚であることが悪である」という集団心理ないしは常識から外れていると思います。
こんな事を最近よく考えちゃうんですよね。極端な例でいえば「死は悪いことなのか」とか。何が良くて何が悪いのか、そう思ったのは集団の意向なのか自分の意向なのか、などなど。私としては「自分自身の意向」に従っていきたいと思います。そうすれば、その考えを取ったことに後悔はしにくいと思うので。


なんか小難しいしまとまりもない文章になっちゃいました。まだまだ、精進ですね。

余談ですが、今回のブログは電車内と空港から、スマホを使って書いています。行き先は、また来週のブログで。といってもツイッターとインスタを見てもらえばすぐにわかると思いますが。


最後に、今週の名言を1つ。
「狂気は個人個人においては稀なものであるが、グループ、政党、俗衆、世代においてはルールになってしまっている。」
by フリードリヒ・ニーチェ


それでは、よい週末と常識を。