1st Aniv/「争い」(06/09/2022)

こんにちは。Keiです。

今日もお疲れ様です。

 

ブログ開設から1年が経過したということで、前々回は恋愛前回は人生に関して書いてきました。今日は、書いてほしいと言われたテーマの1つ「争い」について書いていきたいと思います。

 

皆様も今までの人生を振り返ってみれば分かるかと思いますが、生きていると様々な「争い」と遭遇しています。小さなものであれば、スーパーのタイムセールでの商品の取り合いから、大きなものであれば、国家間の戦争といった具合に、規模や対象も様々です。

そんな「争い」を止めるべく、様々な人がまた争っているわけです。改憲をすべきかとか、武器を持つべきか、等々ですね。「争い」は連鎖していくわけですよね。これは仕方のないことかなと、個人的には思います。なぜなら、「争い」によって様々なモノが進化・改良されてきたからです。ちょっとだけ詳しく書くと、ニンゲンがここまで繁殖したのも、他の動物等と「争い」をして生き延びてきたことが原因の1つでしょうし、ここまで社会や技術が発展してきたのも、自分たちが帰属している社会や持っている技術を、他に存在するそれと比べてより良いものにしようと「争い」をした結果の1つでしょう。すなわち、人が人として発展し、生き長らえてきた所以の一つに「争い」があるから、それが連鎖するのは当然と言えばそうだろうと思うからです。

結局、人の本能として「争い」を消すことは難しいのではないでしょうか。私も今までの人生を振り返ってみて、「争い」をしなかった期間は無いのかなと思います。常に大なり小なりの「争い」の中で生きてきたと思います。そして、これからもその中で生きていくでしょう。

そこで1つ考えるのは「争いにおける善悪」についてです。恐らく皆さんは、誰かと争う時、自分が善で相手が悪だ、と思うのではないでしょうか。善悪というよりかは、自分が正しいと思うからこそ、争っているのではないでしょうか。そんな時に、少しだけ考えてみてほしいことがあります。それは、「相手の主張」です。もちろん、争う以上は、自分が正しいと思ったこと、すなわち自身の正義を貫いてほしいと思います。しかし、相手には相手の正義がある。相手もその正義を貫いていることを少し考えてほしいと思います。ただ相手のことを否定するだけでなく、相手の考え、その考えまでに至った背景、その考えと自分の考えの相違等も考えてみてください。もしかしたら、そこからお互いが納得できる策が思いつくかもしれません。

ただ、全員が己の正義のままに生きていたら恐らく社会は崩壊するでしょう。大きな争いが絶えず発生して、いつしか社会という概念が機能しなくなるでしょう。だからこそ、人々は自分の属する社会に名前と秩序を持たせた。それが「国」と「法律」です。これがあるからこそ、致命的な争いが多少少なく済んでいるのかなと思います。1つの社会である「国」にとっての秩序、すなわち皆にとっての共通の正義が「法律」なのかなと思います。

 

なんかとりとめのない話になっちゃいましたね。結局何が言いたいかというと、「争い」が避けられない世界ではありますが、どうか、皆さまは良い人生だったと思えるように生きてください。詰まるところそれが一番大事です。争いに自ら飛び込むもよし、逃げるもよし。とりあえず、満足のいくように生きていけばいいかなと思います。それが正解かどうかは、自分が決めることですしね。

 

 

最後に、今日の名言を1つ。

「君の魂の中にある英雄を、放棄してはならぬ。」

by フリードリヒ・ニーチェ

 

 

それでは、良い明日と争いを。