極める(03/05/2022)

こんにちは。Keiです。

今週もお疲れ様です。

 

今週も結構疲れました。最近、家に帰ってきてご飯食べてお風呂入って寝る準備してすぐ寝るっていうルーティーンが出来ちゃってます。しかも寝落ちすることもしばしば。肉体的疲労なのでとにかく早く寝るしかないですね。はい。

今週は色々ありました。日曜日はマッチングアプリで知り合った女の子とあって色々して、平日は仕事をして、昨日の夜と今日の日中は中学・高校・浪人時代を共に過ごした腐れ縁の友達と語りあいご飯を食べ、夕方から車の調整...。そこそこ充実していましたね。楽しい一週間だったかなと思います。

 

さて、今週のテーマは「極める」です。上にも書いた通り、昨日の夜と今日の日中は、腐れ縁の友達と過ごしていました。その友達は料理が好きで、色々と挑戦しているようでした。基本的な料理はほとんど作れるらしく、彼曰く「店で食べるより自分で作った飯の方が美味い」だそうです。彼の自信の持ちようはちょっと見習いたいところです。

要は、友達は、料理を「極める」ことに挑戦しているわけです。そこで思ったことが「極めるって相当難しいよな」ということです。

今日の夕方に車の調整をショップにお願いしている間に、そのショップにおいてあった「湾岸ミッドナイト」を読んでいました。これは車の物語で、首都高を舞台とした、車での競争を描いています。その中で、車のチューニングをする場面がよく出てきます。このチューニングというのも「極める」というのが難しい、もしくは無理な世界なのかなと、読んでいて思いました。完璧な車を作ることは難しいんですよね。走りを求めれるチューニングをすれば、車の寿命と日常での利便性を削ることになり、壊れない・日常で快適に走れるチューニングをすれば、走りを犠牲にすることになる。結局、チューナーがどんな車を至高とするかで全く違うチューニングになるわけです。そしてどのチューニングにしても問題点はある。

これって、日常でもそうなんですよね。トレードオフという考えがある以上、極めることは難しい。だけど、極めようとする。このジレンマとは付き合うのは大変だなと思いました。

「極めようとする」ことは大事だと思います。一方で「極めた」人は実際にはかなり少ないのではないでしょうか。そもそも極められるのかという問題もありますが...。

 

自分も何かを極めたくて生活しているのかなと、友人と話していて改めて思いました。これからも探求心を忘れずに生きていきたいと思います。

 

 

なんか、まとまりのない文章になっちゃったなと思います。ただ、感じたことをつらつら書きました。ご了承ください。

 

 

最後に、今週の名言を1つ。

「それを得るために

 何を失うのか選ぶのはいつだって自分自身だ

 気づかなかったなんて通用しない」

by 北見 淳 / 湾岸ミッドナイト

 

 

それでは、よい週末と極みを。