シャドウ・シンドローム(07/09/2023)

ニンゲンには2面性がある。

 

普段見せている「ペルソナ」と見せていない「シャドウ」。

 

 

いつからか、ずっと感じているこの不快感。

 

これはきっと、私の「シャドウ」のせいなのだろう。

 

 

さて、どうしようか──────

 

 

こんにちは。Keiです。

先週もお疲れ様でした。

 

先週は飲み会やら昼の食事会やらが色々あって楽しかったですね。色々な話を聞けて面白かったです。

 

 

さて、今週のテーマは「ペルソナとシャドウ」です。

これは心理学者であるユングが提唱した、心理学の用語の1つです。

「ペルソナ」とは、人が社会で生きる上で、求められた役割を演じる機能であったりその一面です。

「シャドウ」とは、ペルソナを演じる時に、求められた役割とは合わない自分の一面が抑制されることです。

 

皆さまにもペルソナとシャドウがあると思います。

例えば、部活動における「部長」ですね。ある人が部長になったとしましょう。その人は普段は人と話すことに慣れておらず、1人の時間を過ごしたいと思うことが多い方でした。ではその人がどうなったか。

ある研究結果によれば、その人は部員とよく話すようになったようです。それこそがまさに「ペルソナ」なんですね。部長というペルソナを背負ったその人は、社会的役割として「部員と話す」ことが求められているわけです。その役割を果たすために、その人は普段とは違う行動をとったんですね。

 

しかし、同時に「人と話さない」というその人の一面は抑制されます。それが「シャドウ」です。

ユングによれば、基本的には「シャドウ」は自分の無意識下にあるものですが、「ペルソナ」を演じている際に葛藤にさらされた時、シャドウが表層に出てきて、不安感等を感じることもあるそうです。

また、色々な人と接していると「生理的に無理」だったり「何かわからないけど無理」だと感じる人に出会うことがあるでしょう。それは自分の「シャドウ」が反応していることが一因であると考えられます。相手に自分の「シャドウ」を感じることで、シャドウが表層に出た時と同じ気分を味わうという仕組みですね。

 

私が何故こんな話を書いたのかというと、最近社会的役割を感じるようになってきたからです。

私も社会人になって3年目になりました。会社の中でも一番下っ端ではいられなくなり、後輩を指導するような役割を担うようになってきました。正直な話を言えば、多少不安なところがあります。そして、漠然とした不快感があるんですよね。

自分がちゃんと後輩に指導できるのかが未知数であるというのも大きいとは思いますが、自分の中の葛藤が「シャドウ」を意識させているのだと思います。

後輩にも様々なタイプの方がいらっしゃるのですが、そのタイプごとにどう指導するのが良いのかなと悩んでいます。その葛藤が不快感の要因の多くを占めていると思います。

 

まあ、色々悩んでいても仕方がないのでとりあえずなんでもやってみます。

後は、自身の「ペルソナ」と「シャドウ」を知ることで、自分が果たすべき役割もより正確にわかってくると思うので、そこは良い点だと思って頑張っていこうと思います。

 

 

最後に、今週の名言を1つ。

「年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。すべての事情は変わって行く。我々は活動することを全然やめるか、進んで自覚をもって、新しい役割を引き受けるか、どちらかを選ぶほかない。」

by ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

 

 

それでは、よい一週間とシャドウを。