恋の魔法の先に(09/18/2021)

こんにちは。Keiです。

今週もお疲れ様です。

今週の感想としては「久々にすごく忙しかった」です。

今週は仕事の締切に追われていましたね。自分のスケジューリングの甘さを感じました。仕事の管理も必要になってくるぐらい忙しくなってきて、ある意味において「社会人」らしくなってきたかなと思います。卒論も書かないといけないので、「学生」としての本分も忘れずに頑張っていこうと感じた一週間でした。

 

さて、今週のテーマは「恋の魔法」です。ナニソレ?って感じですよね。自分がこのフレーズに触れたのは、2002年と2008年に発売されたPCゲーム「それは舞い散る桜のように」(以降、それ散る)のオープニングを鑑賞した時です。

 

恋の魔法なんてよく言うけどさ。あれって実に言い得て妙なのね。
 その人のちょっとした仕草を、ある日気がついたらいいなって思ってる。
 一般にそれを恋って呼ぶわけだけど、結局それってただの勘違いよね。
 だからいつかその勘違いに気づくわけ。
 そしたら…
 はい、恋の魔法はおしまい」

 

このフレーズが流れてきました。これは作中のヒロインの1人の台詞となっています。

これを見たとき、「確かにそうだ」と思いましたし、「それじゃ少し寂しいかな」とも思いました。

自分は人より恋の魔法にかかりやすいと自覚しています。今までのブログとか、自分と仲良くしてくれてる人ならわかってると思います。だからこそ、恋の魔法にかかった時の高揚感と切なさ、解けた時の虚無感は人一倍感じていると思っています。

一生魔法にかかることはなく、いずれは解けます。だったら、この魔法が解けた時、虚無感以外は何も残らないのでしょうか自分はそうではないと思っています。

虚無感と共に、次の出会いを残してくれると思います。魔法は解けても経験は残ります。その経験が、次の魔法をもっと魅力的にしてくれると思います。そして最終的には、愛に変わる恋を見つけ、魔法の連鎖が終わっていくんじゃないかなと思います。

 

なんでこんな話を書いたのかというと、それ散るの楽曲が好きで、色々と考えさせられるというのと、自分の恋愛も少しながら発展し始めたというのがあります。

実は今、ある女性と、昼ご飯と夜ご飯の計2回ほど一緒に食事に行きました。そこで、「恋の魔法」について考えるようになりました。

正直自分が魔法にかかっているかどうかは自分でもわからないです。前の恋愛を経て、だいぶ冷静に考えるようになったのだと思います。だけど、彼女と話しているときは楽しいし、ふと笑顔がいいなと思う瞬間がありました。そう考えると、おそらく魔法にかかり始めているのだと思います。

また近いうちに、一緒にでかけることになりそうなので、その時には、もしかしたらまた1つの区切りがつくかもしれません。いろんな覚悟をもって臨みたいと思います。

 

最後に、今週の名言を1つ。

「恋をしている時には、ばかなまねをして世間の笑いものにならなかったような男は、決して、恋愛によって、賢くなるということはないであろう。」

by テオドール・ライク

 

 

それでは、よい週末と魔法を。