社会人兼学生、卒業。(03/25/2022)

こんにちは。Keiです。

今週もお疲れさまでした。

さて、今週の感想とテーマですが、久々に小説チックに書いていってみようかなと思います。とにかく、今週は濃かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月18日金曜日。朝に慌ただしく旅行の準備をして、いつもの通勤時とは違う、旅行用リュックを背負って職場に向かった。今日はいつもより早く仕事が終わる。何故なら1時間だけ有休をもらっているからだ。すべてはそう、今日の仕事後のためだった。

 同日夕方。いつものように仕事をこなし、少し早く職場を出る。そして急いで自分の車に乗って、関西へ向けて出発した。何故に関西に行くのか。

──────それは、学生としての「卒業」を迎えるためだった。

 そう、3月22日についに卒業を迎える。社会人兼学生は、晴れて社会人となるのである。二足の草鞋を履いた1年がこんなにも短いとは、と感慨に耽りながら、関西へ向かう新東名高速道路を走っていた。

 同日深夜。大学最寄りのICから降りて、友達が待っているラーメン屋へと向かった。そして、久しぶりに友達に会った。あった瞬間、ああ、自分はまだ学生なんだなと思った。大学生だった頃の気持ちが戻ってきて、社会人兼学生は、この時からただの学生となっていたような気がしていた。

 久々に顔を合わせた友達は元気そうだった。元気で何より。そして、友達の友達も一緒にいた。良い人そうだった。会ってから、ラーメン屋の内外で色々と話をしていた。自分の車のことであったり、友達の簡単な恋愛事情や卒業旅行の話など、とりとめのない話をしていた。何でもない、この時間が好きだったことを思い出した。

 友達の車を運転したり、逆に自分の車に乗せたり、色々なことをしているうちに、日付も変わり、帰る時間となった。この日は友達の家に厄介になる日だった。その友達を車に乗せ、家へ向かう。友人宅では色々とお世話になった。暖かい寝床やお風呂、炭酸水など。後は寝る前にちょこちょこ話をして、次の日に備えて就寝した。

 

  3月19日土曜日。この日から明日まで、島根に旅行に行く予定となっていた。家に泊めてくれた友人と企画した後輩の3人で行く。元々4人だったのだが、急に予定が入ってしまい、やむなく離脱。本当に残念だった。また絶対に行こうな。

 友人と一緒に後輩を迎えに行き、そのまま高速道路に乗る。道中、事故渋滞が発生していて、結構予定が詰まりそうだなと思っていたが、途中からスムーズに動き出し、全く問題はなかった。今回の旅行でのドライバーは、自分と後輩の2人だった。なにせマニュアル車だったので、AT限定の友人は運転できなかった。是非今度はATで、友人のドライビングで旅行したい。楽しみにしています。

 最初の目的地は「御前湯」。西暦651年に起源をもつ秘湯である。まず街並みが良かった。レトロな感じ。いい感じの秘湯って感じだった。中は綺麗で、ちょっと古いものの、風情があった。この温泉は今回の旅行の中で一番好きだった。とにかくいい風呂。そんな感じ。

 御前湯を後にした我々の次の目的地は「熊谷旅館」。とにかく道が狭い。まさに秘湯にふさわしい場所だった。しかし、そこで悲劇が。我々が行った時にはすでに閉まっていたのだ。営業時間が短縮されていたらしく、ここは明日にリベンジすると誓い、熊谷温泉を後にした。

 次に向かったのはスーパーマーケットだ。今回止まる宿には調理スペースがあるので、外で食べるより作った方がコスパが良いだろうとの見解だ。スーパーでは厚切りの牛肉と島根産和牛の薄切りを買い、酒のつまみを買い、地日本酒と地ワインとビールや酎ハイを買った。これは最高の夕食になる。我々全員がそう思っていただろう。

 そして宿へ向かう。宿は温泉津温泉にある「湯るり」というゲストハウスだった。宿に向かうと鍵がかかっており、電話で鍵を開けてもらった。余談だが、鍵を開けてくれたのはオーナーの娘さんらしく、良い人そうだった。恋愛したいなと、思った。

 宿に荷物を置いてから、近くにある「薬師湯」へ向かった。熱いのに何故か長湯してしまう。のぼせること必須ぐらいの温泉だった。だけど、とにかく気持ちいい。熱いのに長湯できるほどの良い温泉だということだろう。入れて良かった。この温泉の2Fには、ノートが置いてあって、感想を書くことができる。我々もそれぞれの感想を刻んできた。何を書いてきたのかはナイショで。

 薬師湯から戻ってきた後は、ついに料理の時間となった。スーパーで買った食材を並べ、後輩が調理をし、友人が切る・整える。自分はその他の並べ作業やゴミの整理等を行った。後輩は上手に肉を焼いていたし、友人は綺麗に魚を切っていた。きっと2人とも料理が上手、もしくは上達するのが早いのかなと思う。ちょっとうらやま。

 料理が完成し、全ての飯がそろったところで、ついに実食。感想。美味い。以上。とにかく美味い。もちろん調理の腕や食材の質等もあるのかもしれないが、恐らくは旅先という状況が、何倍も飯を美味しく感じさせたのだと思う。酒も進んだ。

 ある程度ご飯と酒が進んだところで、先輩である自分と友人から後輩に対してのメッセージ、そして後輩から先輩へのメッセージという、メッセージの交換が行われた。自分と友人は後輩に対して感謝の気持ちを、後輩は先輩への感謝の気持ちを、それぞれ伝え合った。自分が貰ったメッセージは結構嬉しかった。後輩的に思うところはたくさんあるだろうが、多少なりとも力になれていたということがとても嬉しかった。

 なんやかんや喋りながら、夜が過ぎていく。ご飯もなくなったころ、就寝時間が訪れた。自分は友人たちがトイレや歯磨きに行っている間に寝てしまった。多分眠かった。ごめん。

 

 3月20日日曜日。昨日の酒は全く残っていなかった。きっといいお酒だったのだろう。少しだけ早めにチェックアウトして、また温泉に向かった。最初の目的地は昨日の熊谷旅館。3月温泉リベンジである。流石に開いていた。旅館に入って温泉の説明を受けて、いざ温泉に向かうと、そこには3つの扉が。それぞれの扉の向こうには、4人入るのがやっとの温泉が。衝撃だった。これが温泉とは。せっかくだから、俺はこの一番奥の扉を選ぶぜ!と思いながら、一番奥の扉の温泉に入る。3人でも結構ぎゅうぎゅうだった。そしてぬるかった。とにかくぬるい。けれども温泉だった。泉質的には昨日と同じだったが、ここまで温度に差があるとは思っていなかった。けれども、上がってみると意外と寒くない。これが温泉の力か。

 熊谷旅館を後にして、次に向かった温泉は「千原湯谷湯台場」。ここもまた秘湯度が高い。こんなところにあるのかと思ってしまった。そしてちょっと人気。収容人数が少ないのもあるが、お客さんが多くて少し待った。余談だが、先週のブログはこの待ち時間で書いていた。投稿遅れてすいませんでした。

 少し待って、ついに我々の番が来る。温泉に入る。これまたぬるかった。けれども面白い温泉だった。下から湧き出るのである。ポコポコと下から湧き出るのは面白かった。あと、湯冷めを防ぐための五右衛門風呂も気持ちよかった。やっぱり温泉はいい。気持ちと体が安らぐ。改めて、旅行を計画してくれた後輩と、一緒に旅に行けた友人に感謝したい。

 温泉を後にした後、かの有名な「出雲大社」に向かった。出雲大社の前の通りでハンバーガーを食べ、境内を巡り、お参りをしておみくじを引いた。結果はそこそこ良かった。おみくじのお導き通りになるといいな。あと、今度出雲大社に行くときは色々と学んでいきます。

 出雲大社の後は「べた踏み坂」へ向かった。壁のように見えるぐらいの急勾配の坂である。実際に見てみると思ったより普通だった。壁のように見えるのは写真の撮り方によるものだった。ちょっと皆がっかりしていた。けど、べた踏み楽しかったです。

 そして、ついに島根旅行の全日程が終了し、関西に戻ることとなった。関西に戻って、別の友人と合流してから夜ご飯を一緒に食べる予定となっていた。帰る道中も色々と話が出来て良かった。

 そして関西に到着。ラーメン屋で待ち合わせてから一緒にご飯を食べる。替え玉無料のお店だったので、ついつい頼みすぎてしまった。反省。けれど、その後に行ったローソンでトクホのコーラを流し込んだので±0。オールオッケー。

 そして、「道の駅こんぜの里りっとう」へ。それぞれが好きな車を借りたり、自分の車で目的地へ向かった。ここは我々にとっての聖地。メッカのようなものだ。最初に教えてもらったのは、1年生のころ、自動車部の先輩と友達に連れてきてもらった。以降、自分1人で行くこともあれば、他の友人に布教して、一緒に行くことも多かった。気づけば、何かあれば「こんぜ、行こうぜ」が我々の常套句となっていたのであった。

 そんな聖地に行き、峠を走り、駐車場でしゃべる。嗚呼、これが我々の青春だ。いつの間にか、こんぜの里は自分にとっての大切な思い出の場所となっていた。はたから見れば、ただの駐車場と広い広場があるだけの道の駅だ。けれども、自分にとってはそれだけじゃない、たくさんの思い出が残った大切な場所なのだ。それを改めて実感した。  こんぜの峠で走った後、更に上にある展望台に向かった。この展望台からは琵琶湖が見下ろせる。琵琶湖周辺の町並みの明かりが綺麗な場所だ。道は狭いし、道中には心霊スポットがある。しかし、それを超えていくだけの価値がある。展望台でも長々と話していた。この時間も懐かしかった。凄く、楽しかった。

 そして日が昇る前に解散した。今夜もまた2日前と同じ友人の家に世話になる予定だった。いざ、車を停めに行くと、そこにはすでに車があった。勝手に停められていた。そのせいで友人の寝る時間が朝になってしまった。自分は少しだけ寝させてもらっていたので大丈夫だったが、友人の苦労は計り知れないだろう。本当にありがとうございました。

 

 3月21日月曜日。昼頃まで寝て、その後は友人2人とラーメンを食べに行った。お店の名は「バリバリジョニー」。自分が好きなラーメン屋の5本の指に入るほど好きな店だ。汁の濃さしかり、替え玉無料しかり、接客態度しかり。とにかく好きだ。この味はジョニーでしか味わえない。久々に食べられて良かった。友人のスープで替え玉までしてしまった。一回の注文で何度でも美味しい。そんなお店だ。東京でも出してほしいものだ。

 ジョニーを後にした後、他の友人と飲む予定があったので、一旦お別れする。そして自分は電車で京都へ。大学生活で相当お世話になった友人と京都の老舗バー「BAR K6」へ。久々にいいお酒を飲んだ。やっぱり、ゆっくりいいお酒を飲んで、ゆっくり語り合うのが楽しい。久々に良いお酒の楽しみ方を思い出せた。部活以外の数少ない友人であり、趣味も凝っているので話していて本当に面白い。フィルムカメラの話であったり、個人事業としてやっている仕事であったり、お酒の話であったり。本当にお世話になった。また、飲める日を楽しみにしています。

 京都を後にして、宿泊地へ戻る。その前に、先ほど別れた友人と、部活の先輩と居酒屋で合流した。相手方がまだ飲んでいたので、そこに参加する形となった。部活の先輩とは実に1年半ぶりに再会した。先輩は相変わらず元気そうだった。学部柄忙しく、会う機会がなかなかなかったが、就活も一旦落ち着いたみたいで、一旦休憩しているようだった。エリートな先輩で、ちょっと憧れがあったりもする。先輩とも話せて良かった。短い時間ではあったが、声を聞けて、話が出来て、元気そうだとわかっただけで十分楽しかった。色々な儀式も教えてもらって、面白かった。今日と明日の宿はホテルだったので、帰る先は昨日とは違っていた。

 

 3月22日火曜日。ついにこの日が来てしまった。卒業式の日だ。ちょっとそわそわした気持ちを抑えつつ、泊まっているホテルの朝食を食べる卒業式の準備を整えてから、友人と合流して大学へ。合流前にちょっと元バイト先へ挨拶に行った。自分が一番好きだったバイトさんと会えてよかった。誰なのかは秘密で。

 そして大学。実に1年ぶりの大学。お店が改装されていて凄くきれいになっていたり、卒業式の設備が整えられていて、いつも見ていた大学とは少し様変わりしていた。その改装されていたお店でご飯を食べた。美味しかった。早くお店を改装して欲しかったと思う。

 ご飯を食べた後、友人と思い出の場所を巡っていた。大講義室や情報教室、大ホールやニッチな場所などに行った。そういった場所を巡っていると、改めて思い出がよみがえってくるようだった。何気ない日常、テスト前の人混み、友人を教室外で待っている時のベンチ、などなど、大学生活のちょっとした一面が思い出されているようだった。

 そして時間が来て卒業式の会場へ。スーツ姿と袴姿がたくさん見られた。この日のために気合を入れてセッティングしたんだなと感じた。皆、卒業という現実に直面して何を思っているのだろうかと考えていた。自分は、社会人兼学生であるので、卒業した後も元の日常に戻るだけだ。しかし、皆は学生から社会人に身分が変わるのである。その瞬間を皆はどのような気持ちで過ごしているのだろうか。今度友達に会ったら聞いてみようかな。

 そして卒業式が終わり、ゼミ生の集合教室へ向かう。皆と久々に対面であった。皆も相変わらずであった。そして、卒業証書をもらった。改めて卒業証書をもらって、もうこの大学には居場所がなくなるのだな、そしてこの大学に来ることもそうそうなくなるのだなと思った。少し寂しかった。なんやかんやこの大学のキャンパスも気に入っていたのだろうか。普段いるときは気づかないけど、ふと離れてみるとその大切さに気付く。恋愛と同じだね。

 そしてゼミ会も終わり、ふらふらとキャンパス内をさまよっていた。特にやることもなく、友人との待ち合わせにも時間があるため、とりあえずキャンパス内の写真を撮っていた。それで時間を潰し、待ち合わせ場所に向かった。その時に、ふと携帯が鳴った。連絡してきたのは自動車部の友人だった。自分は自動車部を1年で辞めてしまったにもかかわらず、集まりに呼んでくれたのだ。純粋に嬉しかった。会った自動車部の連中も変わりなかった。相変わらずの人たちだった。それが良いのかもしれない。変わらないものの重要性はこの1年で嫌というほど知ったから。

 自動車部の友人たちと別れた後、写真部の部室に戻った。部室内には後輩の姿と、写真部以外の友人の姿も見られた。彼とは本当に久しぶりだった。久々に少し話せて良かったと思う。関わりが少ないとはいえ、後輩とも話せて良かった。色々と写真も撮れて良かった。

 そして部室を後にして、大学の最寄り駅に徒歩で向かった。途中、バイト兼学部の友人から連絡があり、集合写真を撮りたいと提案があった。そこで、その友人と合流して、一緒に駅に向かった。道中、自動車部の車が停まっていたので、自動車部の友人とも写真を撮った。車、格好良かった。良い車だと思った。

 そして駅前に着き、時間があったので元バイト先に顔を出した。凄くやせたねと言われた。ちょっと格好良くなったねといわれて嬉しかった。もっと頑張って自分磨き頑張ります。

 そのバイト先が集合場所になった。皆が集まって、後輩に写真を撮ってもらった。個人的には凄くいいバイトだった。大変なこともあったけれども、やっぱりいいバイト先だった。凄くお世話にもなったし。改めて、ありがとうございました。

 そして、その集まった面子でラーメンを食べに行った。「魂心家」いう家系ラーメン屋である。学生時代には何度も行った。この日は偶然ラーメンが安くなっていて、結構人混みが出来ていた。そして、麺を食べながら後輩と話をしていた。後輩は就活が忙しいみたいで、結構苦戦していた。先輩にESを添削してもらったり、大学を利用したりと、結構頑張っているようであった。もう少し就活を頑張って、行きたいところに内定決めて華麗なるフィニッシュを決めてください。応援しています。

 そして、後輩との別れを惜しみながら、自分と1人の友人は京都に向かうために別れた。京都で別の集まりがあったからである。京都に向かう道中、友人の恋愛話をしていた。友人も色々と考えているようだった。根本的にはいい奴なので、その魅力を出せるように頑張ってほしい。応援している。

 京都駅で友達と再会を誓いつつ別れた。そして自動車部の友人が集まっている場所に向かった。相変わらず不思議な連中だった。もちろん悪い意味ではない。お互いに個性が強いのに、不思議と噛み合っている感じがある。こういった集まりもあるものだなと改めて感じた。いい奴らではあるので、改めて関わりを持てて良かったと思う。

 終電前に別れ、自分は元主将と途中まで一緒だった。道中、改めて友人でいてくれたことへの感謝を告げた。すると、あちらもありがとうと言ってくれた。正直、部活を辞めた自分と話さなくなっても全然おかしくはないのに、辞めた後も付き合いを続けてくれたことには本当に感謝していた。言葉にできない程である。彼らとの関わりがあったからこそ、自分の殻を破っていくことができたし、常識にとらわれないように心がけることができるようになった。後は純粋に自動車部でしか経験できないことを一部経験させてくれた。自動車部でしか経験できないことは本当にたくさんある。そういう意味では辞めたくはなかった。やむを得ず辞めるしかなかったので仕方ないのだが。今後は、こういった関わりを大切にしていきたいと思う。

 

 3月23日水曜日。実は誕生日だった。この日は関東に戻る日だった。卒業式を終えた街はとても静かに感じた。帰る道中、友人を途中まで送ることになっていたので、友人を迎えに行った。どうやら、もう1人の友人も一緒みたいで、先にその友人を自宅に送った。きっと乗る機会もないだろうと、その友人に自分の車に乗ってもらった。気に入ってくれたようで良かった。

 その友人とは、大学生活の多くを一緒に過ごしていた。同じ部活で、自分の無茶ぶりにも対応してくれて、逆に無茶ぶりもしてくれるような友人だった。大学生活の中で一緒に過ごした時間ランキングの上位であることは間違いない。その友人と再会を約束して別れた。その直後に助手席の友人と、別れた友人の話をしていたらちょっと涙目になってしまった。やっぱり卒業という節目での別れは寂しいものがあるのだなと感じた。涙目になるぐらい楽しい時間を過ごせたのだなと、前向きに考えることにした。

 友人を送る道中、サービスエリア巡りを一緒にした。誕生日だからと奢ってくれた。滋賀の団子と、愛知の唐揚げと矢場とんをごちそうになった。めちゃくちゃ美味しかった。サービスエリア巡りをする途中、色々な話をした。一番印象に残っているのはやはり恋愛話である。相手との身分の差がどのような効果を生むのか、それが一番印象に残っている。恋愛の形は人それぞれである。その友人の考えと自分の考えには少し違う点があった。それは悪いことではなく、むしろいいことだと思う。お互いに違う考え方を共有することで、価値観の刺激ができる。それが凄くいいのであった。

 そんなことをしながら時間が経過し、気づけば友人を降ろす場所まで着いていた。そこで友人のお母さんと合流した。お土産を頂いて、ありがたかった。美味しいお土産ありがとうございました。

 この別れが、大学生活で最後の別れとなった。この友達は、3/18と3/20に泊めてくれた友人であり、この6日間ずっと世話になった友人だった。この友人ともお互いの再開を誓って別れた。別れた後に、車の中に雨が降ってきた。拭いても拭いても雨は止まらない。視界が少しゆがむぐらいには、雨が降っていた。鼻水も出ていた。それぐらい、急に悲しくなった。少しして、ようやく雨が止んだ。やっぱり別れって、寂しいね。

 

 そんなこんなで、怒涛の6日間が終了した。この6日間を振りかえって思うのは「儚いものほど美しい」ということである。大学生活の4年間は、気づけば終わっているような儚いものであった。だからこそ、その中で過ごした思い出や記憶は美しく輝いている。この輝きは自分の将来をずっと照らしてくれることだろう。思い返すと、それほど自分にとってはかけがえのないものとなっていた。

 

 これから先、もっと長い人生を過ごす中で、社会人という身分はずっとついてくる。今までの「学生」という限りある時間を過ごす機会はそうそうないだろう。長い時間を過ごせば過ごすほど、その中にある儚さ、すなわち美しさに気づくことは減っていく。だからこそ、少しの時間も大切にしていきたいと思う。その少しの時間に存在するものはきっと、舞い散る桜のように儚くも綺麗なものであると信じて────────────

 

 

ここに1つ、名言を記す。

「幸福は人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである。」

by アリストテレス

 

 

このブログを見てくれているすべての人に、よい週末と人生があらんことを。